ロジャー・ウォータ-ズ(Roger Waters)

ロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)はイングランド出身のベーシストです。プログレッシブロックバンド「ピンクフロイド」のメンバーで、作曲などの創作面でも中心的な役割を担っていました。気難しく完璧主義な性格でも知られています。また自身を社会主義者だと明言しており、作品の歌詞等にもこれが表れています。

【使用機材】Fender Roger Waters Precision Bass
【所属バンド】Pink Floyd

biography

生い立ち~ピンクフロイド結成

1943年9月6日イングランドで生まれます。父親はロジャーが5ヶ月の時に第二次世界大戦で亡くなっており、また母親は反政府・反米の思想が強い共産党員でした。これらのことがロジャーの書く社会主義的な歌詞の背景にあると考えられます。
1965年、ウエストミンスター大学の前身となる建築学校に通っていたロジャーは、後にピンクフロイドのメンバーとなるリチャード・ライト、ニック・メイスンらとバンド「シグマ6」を結成します。このバンドは1年も持たず解散をしますが、3人はシド・バレットとボブ・クロースをメンバーに向かえ、新たに「ピンクフロイドサウンド」というバンドを結成します。ちなみにこのバンド名はシドが好きだったピンク・アンダーソン、フロイド・カウンシルという二人のアメリカのブルースミュージシャンに由来します。
程なくバンドを脱退したボブに変わりリードギターを担当するようになったシドは、曲作りにも力を入れ始め、バンドはシドを中心とした活動を行っていくようになります。またこの頃、当時のマネージャーによる提案によりバンド名を「ピンクフロイドサウンド」から「ピンクフロイド」へ改名します。

メジャーデビュー

バンドは次第に注目を集めるようになり、レコード会社数社の争奪戦の末EMIと契約。1967年3月にシングル「Arnold Layne(アーノルド・レーン)」でメジャーデビューを果たし、同年8月にはデビューアルバム「The Piper at the Gate of Dawn(夜明けの口笛吹き)」をリリースします。この頃からバンドのリーダー的存在であったシド・バレットのLSD過摂取による奇行が目立つようになってきます。そのため1968年にはギタリストのデビッド・ギルモアをメンバーに迎え入れ、シドには製作活動に重点を置いてもらおうと試みますが結局うまくいかず、シドはバンドを去ることとなります。

The Piper at the Gate of Dawn記念すべき1枚目のアルバム「The Piper at the Gate of Dawn

シドの脱退によりロジャーはバンドの実質的なリーダーとなり、セカンドアルバム「A Saucerful of Secrets(神秘)」をリリースします。この作品には12分に及ぶインスト曲「神秘」が収録されたことからも分かるように、バンドの作風はサイケデリックロックからプログレッシブロックへ徐々に転換していくことになります。

世界的バンドへ

1969年には2枚のアルバムをリリースするなどバンドは精力的な活動を続けていき、翌70年にリリースしたアルバム「Atom Heart Mother(原子心母)」では初の全英1位を記録します。このアルバムにはロジャー作曲の名曲「if(もしも)」も収録されていますが、後のインタビューで「ピンクフロイドの中で嫌いなアルバムの1つ」と発言するなどロジャーの納得する作品ではなかったようです。


Pink Floyd – Atom Heart Mother (Live At St Tropez)
アルバム「Atom Heart Mother」のタイトル曲のライブ映像。この画像も10分以上の長尺の演奏となっていますが、アルバムに収録されたテイクはオーケストラ等も取り入れた20分以上の大曲になっています。

The Dark Side of the Moon歴史的名盤「The Dark Side of the Moon

この後、ベストアルバムや映画のサントラアルバム等のリリースを経て、1973年、LSD中毒によりバンドを脱退したシド・バレットを題材とし、人間のうちに秘めた狂気を描き出したコンセプトアルバム「The Dark Side of the Moon(狂気)」を発表します。この作品は全米チャート1位、全英チャート2位、全世界の売り上げ約5000万枚を記録するなど爆発的なヒットとなり、バンドは世界的な成功を収めます。ロジャーは、全曲の作詞やシングルヒット曲「money(マネー)」の作曲など、このアルバムの制作面で大きな役割を果たし、ピンクフロイドは名実ともにロジャーのバンドとなっていきます。


Pink Floyd – Money(Official Music Video)
「The Dark Side of the Moon」に収録された「money」のビデオクリップ。ピンクフロイドの楽曲の中では最もポップな曲調なものの1つです。

1973年から74年にかけてバンドは休止期間に入りますが、その後1975年には前作に続きシド・バレットを題材とした「Wish You Were Here(炎~あなたがここにいてほしい)」、1977年には人間社会を動物に例えて批判する「Animals(アニマルズ)」、1979年には社会の抑圧や疎外感を壁に例えた「The Wall(ザ・ウォール)」を発表、全てが世界的なヒットとなり、ピンクフロイドはその地位を揺るぎないものとしていきます。が、「The Wall」のレコーディング中にリチャード・ライトを解雇するなど、ロジャーの独裁体制が目立ち始め、残ったメンバーもこれに不満を持つようになっていきます。


Pink Floyd – Another Brick In The Wall,Part Two(Official Music Video)
アルバム「The Wall」から先行シングルとしてリリースされた「Another Brick In The Wall,Part Two」のビデオクリップ。英米をはじめ世界各国でチャート1位を記録するヒットシングルとなりました。

ピンクフロイド脱退

1983年、ピンクフロイドはアルバム「The final Cut(ファイナル・カット)」をリリースします。このアルバムは、ロジャーが単独でアルバムのコンセプトを考え出し、独断で外部のセッションミュージシャンを起用するなど、実質的にはロジャーのソロといっていい内容となっています。このような作品をピンクフロイド名義で作ったことにより、ロジャーとメンバーとの間の亀裂はさらに深いものとなっていきます。こういった背景もあり、1985年にロジャーはピンクフロイドからの脱退を決意します。この脱退は、リーダーである自らが抜けることによるバンドの解散を狙ったものでしたが、残ったメンバーはこれを拒否し、国際裁判にまで発展していきます。結局裁判でもピンクフロイドの解散は認められず、デビッド・ギルモアを中心とした新体制でバンドは継続され、ロジャーはソロアーティストとしての活動を開始することとなります。

ソロ活動

ロジャーのファーストソロアルバムである「The Pros And Cons Of Hitch Hiking(ヒッチハイクの賛否両論)」はピンクフロイド脱退前の1984年に作られており、神経症を患った主人公が見ている夢を題材としたコンセプトアルバムとなっています。エリック・クラプトン、デビット・サンボーンなど豪華なミュージシャンが起用されており、クラプトンはアルバム制作後のツアーにも途中まで参加していました。
続くセカンドアルバム「Radio K.A.O.S.」は1987年に発表されます。この年、ピンクフロイドも新体制となって初のアルバムを発表し、リリース後のツアーの日程も重なっていたため注目されますが、アルバムセールス・ツアーの観客動員ともにピンクフロイドの圧勝となります。ロジャーはこのことにショックを受け、しばらくの間ライブツアーを休止することになります。
1990年には、前年のベルリンの壁崩壊を記念したライブイベント「The Wall-Live in Berlin(ザ・ウォール~ライブ・イン・ベルリン)」を開催します。このライブはタイトルからも分かるようにピンクフロイド在籍時のアルバム「The Wall」の楽曲を中心に構成されており、20万人以上の動員を記録し話題となりました。またライブアルバムや映像作品としてもリリースされています。


Roger Waters,Van Morrison,The Band – Comfortably Numb
「The Wall-Live in Berlin」のライブ映像です。ゲストのザ・バンドやヴァン・モリソンと競演しています。このライブには他にも、ジョニ・ミッチェルやシンディー・ローパーなど豪華なゲストが出演していました。

Amused to DeathAmused to Death(死滅遊戯)」

1993年にはサードアルバム「Amused to Death(死滅遊戯)」をリリースします。この作品は全英8位を記録するなど、ソロアルバムとしては商業的にもっとも成功した作品となりますが、やはりツアーを組むには至りませんでした。が、1999年に突如ワールドツアーの実施を発表し、2002年にはピンクフロイド在籍時以来となる3度目の来日を果たしています。また、このツアーの2000年のアメリカ公演を収録したライブアルバム「In The Flesh(イン・ザ・フレッシュ)」もリリースされています。
また、ロジャーは1985年ごろから本格的なオペラの楽曲を書き溜めており、これらの楽曲を2005年に「サ・イラ~希望あれ」というアルバムとしてリリースします。この作品はオーケストラとオペラ歌手による純粋なオペラ作品で、ロジャーはベーシスト・ボーカリストとしては参加していません。


Roger Waters(Pink Floyd) – “Ca Ira” (rare footage of rehearsals and press conference)
オペラアルバム「サ・イラ~希望あれ」のリハーサルやインタビューの模様を収めたドキュメンタリー映像。聴いての通り、純然たるクラシックオペラの作品となっています。

2005年にはチャリティーイベント「LIVE8」でピンクフロイドのメンバーと競演する機会があり、バンドに再加入してのツアー等も計画されましたが、ロジャーがこれを拒否し実現には至りませんでした。
2006~8年には「The Dark Side of the Moon」を、2010~2012年には「The Wall」を再現するワールドツアーを行い話題となります。特に「The Wall」のツアーは2012年上半期のコンサート興行収入世界1位になるなど成功を収め、翌2013年」にもヨーロッパを中心としたスタジアムツアーとして再演されています。また、このツアーの2011年5月ロンドン公演にはピンクフロイドのデビッド・ギルモア、ニック・メイスンも参加しました。


Roger Waters – In the Flesh?(Live)[From Roger waters The Wall]
2010~2012年の「The Wall」ツアーのライブ映像です。ステージの規模、舞台装置、観客動員など、全てがかなりの規模だったのが見て取れます。

2017年、25年ぶりとなるオリジナルアルバム「Is This The Life We Really Want?(イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィー・リアリー・ウォント?)」をリリースします。

プレイスタイル

ロジャー・ウォーターズのプレイスタイルは、ピック弾きを主体としたオーソドックスなもので、奇をてらわず的確にバンドを支えるのが特徴といえるでしょう。ではロジャーの音楽家としての個性はどこにあるのでしょうか?それは、作詞・作曲などの制作面だと思います。作詞に関しては、ジョン・レノンと肩を並べるほどのメッセージ性の強い歌詞が特徴で、実際にロジャーは尊敬するアーティストにジョンの名前を挙げています。また、作詞において心がけていることは「全てを表現せず、あえて欠落した部分をつくることにより、聞き手のイマジネーションに委ねることが重要」と語っています。
作曲に関しては、ロックよりもはるかに複雑なクラシックオペラの作品を制作していることからも、その能力の高さがうかがえます。また、アルバム1枚が1つのストーリーを持って作られている、いわゆる「コンセプトアルバム」の制作も得意としており、ロージャーが中心となって作成したピンクフロイドのアルバムやソロ名義のアルバムは、ほとんどがコンセプトアルバムとなっています。

ちなみにピンクフロイドは、他のプログレバンドと比較して技巧的な演奏や変拍子を用いず純粋な楽曲で聴かせるバンド、と評価されることがあります。これはまさにロジャーのミュージシャンとしてのスタンスそのものといえるのではないでしょうか。

使用機材

ROGER WATERS PRECISION BASS シグネチャーモデル「Roger Waters Precision Bass」

ロジャーはこれまで、フェンダージャズベース・リッケンバッカー4001・ヘフナーなど様々なベースを使用してきていますが、近年はフェンダーで制作されたシグネチャーモデルのプレシジョンベース「Roger Waters Precision Bass」を使うことが多いようです。
このベースは、ピックガードやピックアップから、コントロールノブ・ブリッジ・ストラップピンなどの金属部品まで、ボディ周りが全てブラックで統一されているのが、見かけ上の大きな特徴となっています。さらに出荷時にピックガードに貼られている保護フィルムには、「The Wall」のアルバムジャケット風の壁のイラストとロジャーのサインがプリントされており、もちろんこのままで使用することも可能です。ピックアップにはセイモア・ダンカン製のQuarter Poundスプリットコイルピックアップが搭載されており、振動するほどのパワフルな低音を生み出すことができます。ボディ材はアルダー、ネック材と指板材にはメイプルが採用されており、ネックシェイプは太目のCシェイプとなっています。