【本名】マイケル・ピーター・バルザリー
【生年月日】1962年10月16日
【出身地】アメリカ ロサンゼルス
【使用ベース】 : MusicMan Stingray、Specter NS-2、Modulas、Fender Jazz Bass、Flea Bass
【所属バンド】 : Red Hot Chili Peppers、Atoms For Peace
言わずと知れたレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシストであり、ロック・シーンにおいて高速スラップを取り入れたプレイ・スタイルの波及に貢献した現在最高峰のベーシストの一人、それがフリーことマイケル・バルザリーである。アグレッシヴかつ破天荒なパフォーマンスとテクニカル&グルーヴィなプレイを同時に行うその超人的なプレイ・スタイルは世界中のロック・リスナーを虜にし、フリーへのリスペクトを公言するミュージシャンは非常に多い。それを裏付けるように一流ミュージシャンとのコラボレートや客演も数多く、ジェーンズ・アディクションやマーズ・ヴォルタへの参加や、レディオヘッドのトム・ヨークのバンド、アトムス・フォー・ピースのメンバーとしても活躍している。
もともとはジャズ・ミュージシャン志望でトランペットの腕を磨いていた音楽少年だったフリーは、高校時代にアンソニー・キーディス(Vo)、ヒレル・スロヴァク(Gu)と出会いロックに目覚め、ヒレルとジャック・アイアンズ(Dr)のバンドにベーシストとして参加。そこでベースの腕を磨いて行く。もともと持ち合わせた音楽的素養の高さからベーシストとして頭角を現し始めたフリーはロサンゼルスの音楽シーンで名を馳せていく。そうした中、アンソニー、ヒレル、アイアンズと共にパーティ用に一夜限りのバンドを結成、それがレッド・ホット・チリ・ペッパーズの始まりとなる。
本格的に活動を始めたレッド・ホット・チリ・ペッパーズは、1984年に「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」でアルバム・デビュー。このアルバムはギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルを迎えて制作されたが、オリジナル・メンバーのヒレルとジャックは当時掛け持ちしていたバンド、ホワット・イズ・ディス?に専念するために離脱しており、代わりにジャック・シャーマン(Gu)、クリフ・マルティネス(Dr)を迎えて制作された。ソウル・メイトとも呼べるメンバーを2人失い、更にアンディ・ギルが当時流行していたポップ指向なディスコ・ファンク的なサウンドを目指したためにレッド・ホット・チリ・ペッパーズ本来が持つ「破天荒なエネルギー」を捉えるには至らなかった。しかしながら「アウト・イン・LA」といった当時のライヴでは欠かせないナンバーも収録されており、パンクもメタルもファンクも丸呑みにしようとするフリーのベース・プレイの原点が納められているという点では押さえておきたい1枚ではある。
翌1985年、ヒレルが復帰した2nd「フリーキー・スタイリー」はPファンクの総帥ジョージ・クリントンを迎えて制作された。ヒレルのファンキーなカッティングを取り戻したバンドとジョージ・クリントンの相性の良さから本来のグルーヴを取り戻し、ようやくレッド・ホット・チリ・ペッパーズらしさを見せたアルバムとなった。フリーのベース・プレイのファンキーなグルーヴも十分楽しめる作品に仕上がっている。
1987年にジャックが復帰、遂にオリジナル・メンバーが揃った3rd「ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン」を発表。現在でもライヴの定番となっている「ミー・アンド・マイ・フレンズ」などレッド・ホット・チリ・ペッパーズらしさが十二分に出た傑作となったが、アルバム発表の翌年にヒレルが薬物の過剰摂取で他界。そのショックからジャックもバンドを離脱。バンドは大きな転機を迎えることを余儀なくされる。
1989年、ジョン・フルシアンテ(Gu)、チャド・スミス(Dr)を迎え、4thアルバム「母乳」を発表。ヒレルをリスペクトするジョンのギター、バンドに強烈なグルーヴをもたらしたパワー・ヒッターのチャドのプレイに感化され、フリーのベースも一段と凄みのあるプレイを聴かせる。ロックにおけるスラップの見本として取り上げられることも多いスティーヴィー・ワンダーのカバー「ハイヤー・グラウンド」、メランコリックなヴォーカルの後ろで素晴らしい歌伴と絶妙なスラップを繰り出す「ノック・ミー・ダウン」など楽曲のクオリティに負けないほどベース的にも聴きどころは多い。しかしこの4人の持つポテンシャルはまだまだこんなものではない。それは次のアルバムで証明されることになる。
1991年、バンド史上最大のヒット作となる「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」を発表。その後のバンドの参謀としてタッグを組み続けることになるプロデューサー、リック・ルービンを迎えて制作されたこの作品は、無駄を削ぎ落とし、バンドの持つファンキーなグルーヴを最大限にまで高めた最高峰のファンク・ロック・アルバムとなった。フリーのベースも今まで以上に緩急を活かしたものとなり、スラップもより効果的なポイントを狙って差し込まれるようになった。「ギヴ・イット・アウェイ」は言わずもがな、全編に渡って冴え渡るフリーのプレイはベーシストならば必ず聴いておきたい名演と言える。バンドが絶頂を迎えたかに思えた翌年、ジョンが突然脱退してしまい、バンドは長らくギタリストを探すことになる。
1995年に元ジェーンズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロ(Gu)を新ギタリストに迎え6th「ワン・ホット・ミニット」を発表。デイヴの持つメタリックなカラーを反映させたバンドの歴史の中でも異色の1枚であり、現在ライヴでプレイされることはほとんどない。しかしながらフリーのベース・サウンドは非常にクリアで抜けがよく、アクティヴ・ベース的なサウンド作りにおいては非常に参考になる。「エアロプレイン」「マイ・フレンド」など楽曲のクオリティも非常に高いが、フリーの弾き語り「ピー」も収録されており、ベーシスト的にはこちらのほうが気になるもしれない。デイヴはこの1枚のみで脱退、新機軸を打ち出したばかりのバンドは早くも転換期を迎えることになる。
1999年、ジョンが正式に復帰し7th「カルフォルニケイション」をリリース。アルバム冒頭「アラウンド・ザ・ワールド」のイントロを飾るオーバー・ドライヴを効かせたフリーのベース・ソロは一聴の価値あり。更に一時ジェーンズ・アディクションの再結成に参加していたフリーは、ジェーンズ在籍時に普段レッチリでは使うことのなかったピック弾きに磨きをかけ、「パラレル・ユニヴァース」でのプレイに結実させている。アンソニーの歌がよりメロディ重視になったこのアルバムから、フリーのベース・プレイもよりメロディに寄り添うような歌心のあるライン作りになっている。とは言え要所要所でファンキーなスラッピングや高速フレーズを織り交ぜており、聴きどころは十二分にある。
2002年にはジョン主導で創り上げた「バイ・ザ・ウェイ」をリリース。ジョンのカラーが全面に渡って押し出されたこの作品は、楽曲の幅を更に押し進めるもベースをフィーチャーしたような楽曲は少なく、フリーは制作当時に脱退も考えたという。しかしながら「バイ・ザ・ウェイ」におけるグルーヴィーに曲を牽引するリフ、「ゼファー・ソング」でのコード弾き、「キャント・ストップ」でのファンキーなスラップなど、今聴いてもまったく色褪せない素晴らしいプレイを聴かせてくれている。
2006年に2枚組となった8th「スタディアム・アーケディアム」を発表。バンドの歴史の全てを詰め込んだような壮絶な幅をもったこのアルバムでレッド・ホット・チリ・ペッパーズが世界最強のロック・バンドの一つであることを証明してみせた。この頃からフリーはフェンダー・ジャズ・ベースを好んで使用、今までとは違った太く暖かみのあるトーンでのプレイが楽しめる。その後2009年にジョンは再び脱退。
2011年、新ギタリストにジョシュ・クリングホッファーを迎え9th「アイム・ウィズ・ユー」を発表。「モナーキー・オブ・ローゼス」でのディスコティック・ベースや「レイン・ダンス・マギーの冒険」での一聴したら忘れられないリフ作りなど、新たな局面を見せるバンドの中にあってベース・プレイは一層の円熟味を見せている。
数多くのミュージャンからリスペクトを公言されるフリーはセッショッン・ワークも多岐に渡る。代表的なものでは、前述のジェーンズ・アディクション「ケトル・ホイッスル」やアラニス・モリセット「ジャグド・リトル・ピル」などがあるが、マーズ・ヴィルタの「ディラウズド・イン・ザ・コーマトリアム」ではアルバム全編に渡ってプレイしており、オマー・ロドリゲス(Gu)、ジョン・セオドア(Dr)といった実力派ミュージシャンたちを相手に素晴らしいプレイを披露している。アトムス・フォー・ピースでは打ち込みの中に溶け込むフリーのベースを楽しむことが出来るので興味があればこちらも是非。
ライブパフォーマンスの激しさなどから破天荒なイメージを持たれることの多いフリーだが、幼少期にはドラムやトランペットを演奏しオーケストラに所属し、ジャズミュージシャンを志していた。さらに2008年には音楽大学で理論や作曲を学ぶなど、様々なジャンルに精通したインテリジェンス溢れるミュージシャンでもある。そんなフリーのベースプレイを分析していこう。
フリーのベースプレイの特徴として誰もがまず思い浮かべるのは、やはりファンキーなスラッププレイだろう。ロックにスラップを持ち込んだベーシストの1人といわれており、ロック系スラッパーで彼の影響を受けていないプレーヤーはいないといっても過言ではない。
フリーのスラップはフォームが特徴的である。オーソドックスなスラップでは、親指以外の指を軽く握り、親指は弦と平行に近い角度にして演奏される。が、彼の場合は、全ての指を伸ばしたまま下に向くように構え、親指は弦と垂直に近い角度で演奏される。このフォームは、おそらくフリーがベースを低い位置で構えていたことから生まれたと考えられる。実際にやってみるとわかると思うが、低い位置でベースを構えてオーソドックスなフォームのスラップを行おうとすると、右肩が不自然に下がってしまい非常に演奏しづらい。そこで手を開き親指を下に向ける独特のフォームを考案したのだろう。またプルには人差し指ではなく、中指を用いている。
フレージングは音数が多めで、特に親指のサムピングによるゴーストノートが多く聴かれる。これもフォームと関係しており、前述のように彼のスラップは弦と親指は垂直に近くなっているため、サムピングした後すぐに親指を持ち上げず、叩きつけるようにすると自然と弦がミュートされゴーストノートとなる。このゴーストノートを多用することにより、フリーのスラップフレーズは独特のノリを持ったものとなっている。
Flea demonstrates how to “Slap” on a Fleabass!
フリーが自身のスラップテクニックについて解説している動画。ライブ動画などでは激しいパフォーマンスで手元をしっかり見るのが難しいため、貴重なものといえるだろう。ちなみにこの動画で彼が弾いている楽器は、2009年にフリー自らが立ち上げたブランド「flea bass」のものだ。現在はこのブランドは無くなっている。
指弾きの際はオーソドックスな2フィンガーのフォームをとることが多い。フレージングは休符を生かしたファンキーなものが特徴的だ。ベースソロなどでは、スライドやハンマリングなどの左手のテクニックによってニュアンスが付けられた、歌うようなメロディアスなプレイを聴く事ができる。また近年ではピック弾きによるプレイも増えてきている。
Red Hot Chili Peppers – Aeroplane [Official Music Video]
1995年のアルバム「one hot minute」に収録されている楽曲。冒頭のメロディアスなフレーズ、指弾きとスラップによるバッキング、3:30あたりからの指弾きによるファンキーなベースソロと、フリーの様々なテクニックを堪能できる。
初期はSpecter NS-2をメインで使用することが多かったが、フリーの使用ベースとして真っ先に思い浮かぶのはやはりミュージックマン・スティングレイだろう。
アクティヴでヌケの良いサウンドでバキバキとスラップをキメるフリーに憧れてStingrayを手にしたベーシストは数えきれないだろう。ジョン復帰後の「カルフォルニケイション」以降はModulasを使用。グラファイト・ネックで反りに強く常に良好なコンディションを保てるこのベースは、長い間フリーのベース・プレイを支え続けた。「スタディアム・アーケディアム」からはFender Jazz Bassをメインで使用。2009年には自身がプロデュースしたブランド、Flea Bassを発表している。
エフェクターはさほど多用せず、「アラウンド・ザ・ワールド」のイントロで聴ける歪みにはBOSS ODB-3を使用。フィルター系はElectro hamonix Q-Tronを使っている。
2016年の夏に登場したフリーのシグネチャー・モデルのベースは、フリーが所有する1961年製のジャズベースを再現したレアなジャズベース。シェルピンク・カラーのボディはニトロセルロースラッカー塗装で、フリーの演奏の摩耗による塗装の剥がれ具合までをも再現。フリーファンは要チェックの逸品となっている。
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どのアルバムでもフリーのプレイは冴え渡っているが、どれか1枚を選ばなければいけないとしたらコレを選ばざるを得ないであろう「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」。
1曲目の「パワー・オブ・イコーリティ」のベースが入ってくる瞬間は、いつ聴いてもゾクゾクさせられる。「ギヴ・イット・アウェイ」でのグルーヴィなライン、「グリーティング・ソング」でのスラップなど、ベーシストにとってはネタの宝庫。それが17曲も入っているのだから聴かない手はないだろう。