ニルヴァーナ、パール・ジャム、ジェーンズ・アディクションといった一筋ならではいかない90年代のオルタナティヴ・ムーヴメントのバンドたちの中でも特に異彩を放っていたのがビリー・コーガン(Vo,Gu)率いるスマッシング・パンプキンズであり、その黄金時代のボトムを支えた女傑ベーシストが、ダーシーことダーシー・レッキーである。
【本名】ダーシー・エリザベス・レッキー(D’arcy Wretzky)
【生年月日】1968年5月1日
【出身地】アメリカ ミシガン州
【使用ベース】 : Fender jazz bass、Precision Bass
【所属バンド】 : スマッシング・パンプキンズ
ギッシュ〜メロンコリー、そして終わりのない悲しみ
91年に「ギッシュ」でデビュー。HR/HMのエッセンスを取り入れたオルタナティヴの主流とも言えるサウンドであり、ビリー・コーガンのソング・ライティングのスキルの高さも伺えるが、バンドとしてはまだまだ発展途上であり、大成功したデビュー作とは言い難い。しかしながらこの経験がビリー・コーガンの危機意識を高めることとなった。このままではもう後が無いという背水の陣で臨んだ2nd「サイアミーズ・ドリーム」は文字通り90年代を代表する傑作となった。
世界的大ヒットとなった「トゥデイ」やバンド屈指のハード・チューン「ギークUSA」を収録。ビリー・コーガンの世界観を具現化出来る稀有な存在であるジミー・チェンバレン(Dr)と共にバンドの屋台骨を支えるダーシーのプレイはアグレッシブなリフのユニゾンあり、ハードなドライブ感溢れるルート弾きありと、ルックス同様存在感たっぷり。
「サイアミーズ・ドリーム」でトップ・バンドの仲間入りを果たしたスマッシング・パンプキンズが次に制作したアルバムが2枚組という壮大なスケールとなった「メロンコリー、そして終わりのない悲しみ」。絶頂期にあるバンドの勢いとアイデアが詰まった濃密な作品となり、まさにロック・モンスターとしてシーンに君臨する存在にまで上り詰めた。
アドア〜スマッシング・パンプキンズ脱退
順風満帆にみえたスマッシング・パンプキンズに転機が訪れたのが96年。ツアーにサポートとして参加していたジョナサン・メルヴィン(Key)が薬物の過剰摂取で他界。ジミー・チェンバレン(Dr)も薬物摂取で逮捕され、バンドはジミーを解雇。4th「アドア」はドラマー不在の中、サウンドを打ち込みを多用したニュー・ウェイヴを思わせる路線にシフト、新たな側面を打ち出して世界を驚かせた。が、劇的な路線変更は賛否両論を巻き起こしていく。そうした渦中のなか、ダーシーはバンドを脱退。スマッシング・パンプキンズの絶頂期を支えたダーシーはその後バンドの再結成にも一度も関わっていない。
The Smashing Pumpkins – Ava Adore
機材&プレイスタイル
フェンダー・ジャズベース、フェンダー・プレシジョン・ベースを使用。jazz bassは75年製がお気に入りのようである。かなりのFender好きで何本も所有している模様。
プレイスタイルは前述したようにアグレッシヴなリフのユニゾンやドライヴ感のあるルート弾きが多い。ベース単体での派手さはないが堅実にボトムを支えている。これはビリー・コーガン、ジェイムズ・イハ(Gu)という天才的なギタリストを2人バンドに抱えていること、ジミー・チェンバレンというこれまたズバ抜けたセンスを持つドラマーがいたことも関係しているだろう。プレイとしてはベースそのものが前に出るより、この3人をしっかり裏から支えるほうがサウンドに厚みをもたらすことを理解していたからに違いない。
しかしながらそのルックスはステージやPVでバンド随一の圧倒的存在感を放っており、スマッシング・パンプキンズの人気に大きく貢献していたのは間違いないだろう。
The Smashing Pumpkins – Disarm
名盤:メロンコリー、そして終わりのない悲しみ
「ゼロ」「バレット・ウィズ・バタフライ・ウイングス」「トゥナイト、トゥナイト」といった名曲の数々がこれでもかと収録され、スマッシング・パンプキンズの怪物っぷりを体感出来るロック史に残る大作。バンドが絶頂期を迎えてきたこともあり、ソリッドなダーシーのプレイも一層際立っている。全て通して聴くとその密度の濃さゆえ、心地よい疲労感に包まれる。90年代オルタナティヴを振り返るには避けて通れない名盤であり、ダーシーのプレイを聴くという理由でなくとも是非抑えてほしい作品である。
スマパンの音源を…