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フィル・ライノット(Phil Lynott)

フィル・ライノット(Phil Lynott)はアイルランドで活躍したベーシストです。同国の国民的バンドである「Thin Lizzy(シン・リジィ)」のリーダーで、ボーカリストでもありました。若手ミュージシャンの発掘などにも尽力し、その功績から「ザ・ロッカー」と呼ばれることもあります。またアイルランドでは英雄として称えられており、首都ダブリンには銅像も立てられています。

【使用機材】Fender Precision bass、Ibanez RS-900
【所属バンド】 Thin Lizzy

biography

生い立ち

1949年8月20日、かつてイギリスの植民地であった南米ガイアナ共和国出身の父親とアイルランド出身の母親の元、イングランド・スタッフォードシャーで生まれます。母親の出稼ぎのため生後すぐにマンチェスターの祖母の家に預けられ、学校に通い始めるころにアイルランド・ダブリンへ移ります。このころライノットはエルビス・プレスリーの音楽の虜となり、これが後の音楽活動へも影響を与えていきます。
学業を終えると本格的に音楽を志すようになり、「ブラック・イーグルス」「スキッド・ロウ」という2つのバンドで活動を始めます。特に「スキッド・ロウ」は当時のアイルランドで最も先進的なロックを演奏していたといわれており、後に「シン・リジィ」などで活動を共にし、盟友といってもいいギタリストのゲイリー・ムーアともこのバンドで出会います。

シン・リジィ初期

1969年、ライノットを中心にギタリストのエリック・ベル、ライノットの学生時代からのバンド仲間であるドラムのブライアン・ダウニーのメンバーでシン・リジィが結成されます。当初はパブなどでの演奏をしていましたが、翌年7月、シングル「The Farmer」でレコードデビューを果たします。
1971年4月、イギリスのデッカ・レコードからファーストアルバム「Thin Lizzy(シン・リジィ)」をリリースし、同年にはロンドンでの初ライブも行います。翌72年にはトラディショナルなアイルランドのフォークソングをロック風にアレンジしたシングル「Whiskey In The Jar」をリリース、アイルランドのチャートで1位を記録し、イギリスでもスマッシュヒットとなります。


Gary Moore – Whiskey In The Jar(From “One Night In Dublin : A Tribute To Phil Lynott”)
Whiskey In The Jarのライブ映像です。この楽曲はもとはアイルランドの民謡ですが、シン・リジィ以外にも様々なロックミュージシャンが取り上げています。このライブではゲイリー・ムーアがボーカルをつとめています。

1973年にはアルバム「Vagabonds of the Western Word(西洋無頼)」を作成しますが、この作品を最後にギタリストのエリック・ベルはバンドを離れることになります。翌年、ライノットはスキッド・ロウにともに在籍していたゲイリームーアにシン・リジィへの加入を要請し、わずか5ヶ月ほどの短期間ではありますが、ツアーやレコーディングに参加しました。74年のアルバム「Night Life(ナイト・ライフ)」では、「Still In Love With You」の1曲のみゲストギタリストとしてムーアの名前がクレジットされています。ムーアの脱退後、新ギタリストのオーディションを実施し、ブライアン・ロバートソン、スコット・ゴーハムの2人をメンバーとして迎え入れます。解散まで続くツインギターの4人編成はこのとき確立されました。

最盛期

1975年の「Fighting(ファイティング!!)」、76年の「Jailbreak(脱獄)」、「Johnny The Fox(サギ師ジョニー)」と、シン・リジィはヒットアルバムを立て続けに生み出していきます。中でも「Jailbreak」は初の全英チャートトップ10入りを果たし全世界で200万枚を売り上げるなど、バンドを代表する作品となりました。さらに、同じ76年には5月と11月にツアーを行うなど精力的な活動を行います。


Thin Lizzy – The Boys Are Back In Town
アルバム「Jailbreak」に収録された、 シン・リジィの代表曲の1つです。Bon Joviなどもライブでカバーしています。

1977年には、ケガをしたブライアン・ロバートソンの代役でゲイリー・ムーアが全米ツアーへ参加します。そして翌年にはロバートソンがバンドを脱退し、ついにムーアが正式にシン・リジィへ参加することとなります。翌78年にはゲイリー・ムーアの初のソロアルバム「Back on the Streets(バック・オン・ザ・ストリーツ)」が制作され、ライノットもこのアルバムに深く関与します。特に、ムーアの代表曲の1つになっている「パリの散歩道」はライノットとムーアの共作により作られた楽曲で、ボーカルもライノットが務めています。


Gary Moore – Parisenne Walkway(From “One Night In Dublin : A Tribute To Phil Lynott”)
2005年にダブリンで行われたフィル・ライノット・トリビュートコンサートでの、パリの散歩道のライブ演奏です。このライブは、ダブリン市内にあるライノットの銅像の完成式典の中で行われました。

1979年にはゲイリー・ムーアが全面参加した唯一のアルバム「Black Rose a Rock Legend(ブラック・ローズ)」を発表し、4月には全英ツアー、9月にはジャーニー・AC/DC・ドゥービー・ブラザーズらとの全米ツアーを行います。この全米ツアーの最中にバンドのマネージメントに嫌気がさしたムーアは失踪し、思わぬ形でバンドを離れることとなります。


Thin Lizzy – Do Anything You Want To
アルバム「Black Rose a Rock Legend」の1曲目に収録された楽曲で、シングルとしてもリリースされています。

シン・リジィ解散

1980年、ゲイリー・ムーアに代わるギタリスト、スノウィー・ホワイトをメンバーに迎え、アルバム「China town(チャイナタウン)」を作成しますが、バンドは次第に勢いを失っていきます。82年にスノウィー・ホワイトが脱退すると、残りのメンバーやレーベルはバンドの解散を提案しますが、ライノットはこれを拒否し、新たなギタリスト、ジョン・サイクスを向かえ1983年にアルバム「Thunder & Lightning(サンダー・アンド・ライトニング)」を制作しますが、結局この作品がシン・リジィ最後のスタジオアルバムとなり、バンドは解散することとなります。

ソロ活動/晩年

ライノットはシン・リジィ在籍中の1980年と82年に「Solo in Soho」、「The Philip Lynott Album」という2枚のソロアルバムを作成しています。「Solo in Soho」には盟友ゲイリー・ムーアも参加しており、79年の、ムーアのツアー中の失踪後も、2人の関係は良好なままであったことがうかがえます。
また、シン・リジィ解散後は83年にロイ・ウッドらとのユニットによるシングル「We Are The Boys」をリリース、85年には自身名義のシングル「19」をリリース、ゲイリー・ムーアのアルバム「Run for Cover(ラン・フォー・カバー)」への参加などの活動を行っています。中でもムーアのアルバム「Run for Cover」からゲイリー・ムーア&フィル・ライノットの名義でシングルカットされた楽曲「Out in the Fields(アウト・イン・ザ・フィールズ)」は全英シングルチャート最高5位を記録するなどヒットします。
1986年1月4日、ヘロイン摂取による内蔵の感染症、敗血症により36歳で急死します。

プレイスタイル

フィル・ライノットのベーシストの特徴としては、ロックベースのお手本のような前へ前へ激しくドライブするグルーヴ感が挙げられます。特にシャッフルのリズムのグルーヴ感には定評があり、「シン・リジィ・シャッフル」と、バンドの名前を冠して呼ばれることもあるほどです。


Thin Lizzy – Don’t Believe A Word
「Johnny The Fox」に収録された楽曲。ゲイリー・ムーアもアルバム「Back on the Streets」でカバーしています。前へぐいぐい引っ張られるようなシャッフルグルーヴが最高に気持ちいいです。

また、ポール・マッカートニーのようなメロディアスなベースラインや16ビートのファンキーなラインも得意としています。そしてなによりすごいのは、これらを歌いながらこなしてしまうことでしょう。ボーカリスト、ベーシストさらにはコンポーザーとしても評価の高いプレーヤーには、前述のポール・マッカートニーやスティングなどがいますが、フィル・ライノットも彼らに並ぶような偉大な才能を持ったベースプレイヤーといっていいでしょう。


Thin Lizzy – Johnny The Fox Meets Jimmy The Weed
「Johnny The Fox」に収録されたファンキーな楽曲。ライノットの16ビートのフィーリングは南米人の父親の血からきているのかもしれませんね。ブライアン・ダウニーのドラムのグルーヴ感も素晴らしいです。

使用機材

フィル・ライノットの使用楽器でもっともよく知られているのは、黒いボディのプレシジョンベースでしょう。 シン・リジィのデビュー当初から生涯に渡り使い続けられ、ダブリンに建立された銅像もこのベースを持ったものとなっています。特徴的なのはピックガードで、鏡のように光を反射するミラータイプと呼ばれるものに交換されています。ちなみに、シン・リジィ時代のライノットの画像を確認すると、一見同じプレシジョンベースを持っているように見えても、指板の色が黒っぽい場合(ローズ材)と、白っぽい場合(エボニー材)があります。おそらくブラックボディ・ミラーピックガードのプレベを複数所持し、場合によって使い分けていたのでしょう。
また、70年代後半にはアイバニーズのRS-900も頻繁に使われています。こちらは本来ピックガードのないベースですが、ライノットはこれにもミラータイプのピックガードを装着していました。


Thin Lizzy – Waiting For An Alibi(From “Are You Ready?”)
アルバム「Black Rose a Rock Legend」に収録された楽曲のライブ映像です。ライノットはアイバニーズのRS-900を弾いています。ミラータイプのピックガードがステージに映えますね。

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